子どもが家を出た日。親の介護が終わった日。あるいは、会社で「もう若い人に任せるか」と思った日。
理由はそれぞれ違う。でも、そのあとに訪れる感覚は似ています。
「あれ、私は何をすればいいんだろう」
朝起きて、誰かのためにやるべきことがない。お弁当を作る必要がない。病院の付き添いもない。急ぎのメールもない。自由なはずなのに、自由の使い方がわからない。
最初の数週間は、開放感がある。「やっと自分の時間ができた」と思う。でも1か月、2か月と経つうちに、開放感の下から別の感情が顔を出してくる。
空虚さ、です。
「誰かのために」が終わると、自分が何者なのかわからなくなる。○○ちゃんのお母さん。○○課の○○さん。○○さんの奥さん。「誰かとの関係」で定義されていた自分から、その関係が外れたとき、残るものが見えない。
この記事は、その空虚さを感じたことがある人に向けて書いています。
空虚さの正体は「喪失」ではない
「誰かのために」が終わったときの空虚さを、多くの人は「役割を失った寂しさ」だと思っています。
確かに、それもある。でも、本質はもう少し深いところにあります。
空虚さの正体は、「自分が何をしたいのか、わからなくなっている」ということです。
考えてみてください。この20年、30年間、あなたの1日はどう組み立てられていましたか。子どもの時間割、会社のスケジュール、親の通院日、家族の食事の好み。あなたの時間は、常に「誰かの都合」で埋まっていた。
それに慣れすぎて、「自分は何がしたいか」を考える回路が、錆びついてしまっているんです。
これは能力の問題ではありません。回路を使っていなかっただけ。使えばまた動き出します。
「忙しかった頃に戻りたい」の罠
空虚さを感じると、多くの人がやることがあります。
忙しさを取り戻そうとすることです。
新しい習い事を始める。ボランティアに参加する。パートを増やす。友人との予定を詰め込む。スケジュール帳が埋まると、少しだけ安心する。「私はまだ必要とされている」と感じられるから。
でも、ちょっと立ち止まって考えてみてください。それは本当に「やりたいこと」ですか。それとも、空虚さを埋めるための「やるべきこと」ですか。
「誰かのために」忙しかった頃と同じ構造を、相手を変えて繰り返しているだけかもしれません。
本当に必要なのは、予定を埋めることではなく、「自分が何をしたいか」を思い出すことです。
「自分」を思い出すヒントは、過去にある
「自分が何をしたいかわからない」と言いながら、実はヒントはすでにあなたの中にあります。
思い出してみてください。忙しい日常の中で、「あ、これは楽しいな」とふと感じた瞬間がなかったですか。
子どもの作文を添削していて、気づいたら自分のほうが夢中になっていた。海外ドラマを観ていて、英語のセリフが聞き取れた瞬間の小さな喜び。旅先で出会った人に、日本の文化を説明しようとして、意外と楽しかった。友人の相談に乗っているとき、「私、こういうの得意かも」と思った。
どんなに忙しい日々の中でも、こういう「自分が顔を出す瞬間」はあったはずです。そのほとんどは、忙しさの中で流されてしまった。でも、消えてはいない。
その小さな「楽しい」の中に、次の自分を見つけるヒントがあります。
空白を「言葉にする」ということ
「誰かのために」が終わったあとの空虚さを埋める方法は、新しい予定を詰め込むことではありません。
空白を、言葉にすることです。
自分がこの20年、30年で感じてきたことを、書いてみる。誰かのために走り続けた日々の中で、本当は何を考えていたのか。何が嬉しくて、何がつらくて、何を我慢してきたのか。
書くことは、自分と再会する作業です。
「私、こんなことを考えていたんだ」「これが好きだったんだ」「ここに怒っていたんだ」。書いてみて初めて、自分の輪郭が見えてくる。誰かとの関係で定義されていた自分ではなく、「私」という一人の人間の形が浮かび上がってくる。
ノートでもスマホのメモでもいい。まずは誰にも見せなくていい。自分のために、自分の言葉で、自分のことを書く。それだけで、空虚だった時間に少しずつ色がついていきます。
その言葉は、誰かの光になる
ここからは、もう一歩先の話です。
自分のために書いた言葉を、外に出してみる。ブログでも、インスタでも、noteでもいい。
「こんな個人的なこと、誰が読むの?」と思うかもしれません。でも、あなたが感じた空虚さは、あなただけのものではありません。同じ感覚を抱えている女性が、日本中に、世界中にいます。
子育てが終わったあとの喪失感。介護を終えたあとの脱力感。長年勤めた会社を離れたあとの不安。それを言葉にしている人は、驚くほど少ない。みんな感じているのに、誰も語らない。
あなたが自分のために書いた言葉が、同じ場所で立ち止まっている誰かの「私だけじゃなかったんだ」になる。自分のための言葉が、誰かの光になる。
そしてもし、あなたが英語を使えるなら。その言葉は日本の外にも届きます。
海外の女性たちも同じ問いを抱えている。「子どもが巣立ったあと、私は何者なのか」「キャリアの終わりに何が残るのか」。でも、日本の女性がその問いとどう向き合っているかを、英語で語っている人はほとんどいない。
あなたの空白の経験が、海を越えて誰かに届く。それは、「誰かのために」ではなく、「自分のために始めたことが、結果として誰かの役に立つ」という、一番幸せな形の繋がりです。
「何も残らない」は、錯覚です
「誰かのために」が終わったあと、何が残るのか。
答えは、「あなた自身」です。
誰かのために走り続けた30年間で、あなたは何も失っていません。むしろ、膨大な経験と知恵を蓄えてきた。ただ、それを自分のために使ったことがなかっただけです。
空虚に感じるのは、空っぽだからではありません。中身がぎっしり詰まっているのに、ふたが開いていないだけです。
ふたを開ける方法は、書くこと。まずは自分のために。そしていつか、外に向けて。
「誰かのために」の時間は終わりました。これからは、「自分のために」の時間です。その時間は、あなたが思っているより、ずっと豊かなものになります。