まず最初にお伝えすると、英語を使わない人生を選ぶことは、決して失敗でも、間違いでもありません。
英語ができても、それを仕事にしなくてもいい。家族を優先する人生も、安定した仕事を続ける人生も、立派な選択です。
世の中には「英語ができるのにもったいない」と簡単に言う人がいますが、何をもったいないと感じるかは本人が決めることです。
ただ、ひとつだけ考えてほしいことがあります。
それは、今の状態を「選んだ」のか、「なんとなくそうなった」のか。英語を使わない人生を、自分の意思で選んだのなら、何も問題はありません。
でも、気づいたら使わなくなっていた、なんとなく遠ざかっていた、というのであれば、それは選択ではなく、『放置』に近い状態だったのかもしれません。日々の忙しさに追われていたら、そうなってしまうのも無理はないことなんですけれどね。
この違いが、この記事で一番大事なポイントです。
なぜ50代で「もったいない」と感じるのか
30代では感じなかった。
40代でも気づかなかった。
なのに50代になると、急に出てくるんですよね。「このままでいいのか」という感覚。理由はシンプルで、時間の残りを意識し始めるからです。
20代や30代の頃は、「いつかまた英語を使う日が来るだろう」と思えた。留学経験も海外生活も、いつか活きるときが来ると漠然と信じていられた。実際、目の前の仕事や子育てに追われて、英語のことを考える余裕もなかったかもしれません。
でも50代になると、その「いつか」の猶予が見えてくる。
定年まであと10年、15年。
子育てが一段落して、ふと自分の時間が戻ってきたとき、急にあの感覚が顔を出すんです。
英語を使わないまま、あと10年、20年。
それはそれで穏やかな人生かもしれません。でも、留学していた自分、海外で奮闘していた自分、英語で必死に何かを伝えようとしていた自分。その延長線がどこにもつながっていない人生に、少しだけ違和感が出てくる。
これは「英語力が落ちた」という話ではないんです。
「あの頃の自分」が遠くなっていく感覚。
50代で感じる「もったいない」の正体は、英語そのものではなく、英語を使っていた頃の自分との距離なんですよね。そしてやっかいなのは、この感覚は放っておいても消えないということ。むしろ年を重ねるほど、じわじわと大きくなっていきます。
英語を手放すと、何が静かに消えていくのか
英語はスキルです。
でも同時に、視点でもあります。
海外から見た日本の姿、文化の違いに気づく感覚、日本語では出てこない発想。英語を使っていた頃は、無意識にその視点を持っていたはずです。たとえば、かつては当たり前のように感じていた『あ、これって日本独特の感覚かも』という発見。
それが、いつの間にか日本語だけの世界に馴染んでしまい、違和感すら抱かなくなっていく。英語を話さないことで、世界とつながっていた『心のアンテナ』が、少しずつ折りたたまれてしまうような、そんな寂しさです。
他にも、海外のニュースを英語で読んでいた頃は、日本のメディアとは違う角度から物事を見ることができた
外国人の友人と話していた頃は、「日本では当たり前だけど海外では通じないこと」に自然と気づけた。
英語を使っているだけで、世界の見え方が少し広かったはずなんです。英語を使わなくなると、その視点も少しずつ鈍っていきます。最初は気づかない。
でも数年経つと、海外ニュースを日本語でしか追わなくなり、外国人と話す機会もなくなり、気づけば視界が日本語の世界だけに閉じていく。
怖いのは英語が下手になることじゃない。
英語を通して持っていた「もうひとつの目線」が消えることです。肩書きから消え、日常から消え、話題からも消える。友人との会話で「昔は英語使ってたんだよね」と過去形で語られるようになる。そして自分自身も、いつの間にか過去形で語り始める。
気づいたら英語は「昔できたこと」になっている。
それが嫌かどうか。
そこが分かれ道です。
それでも「使わない」と決めるなら
それも、尊重されるべき選択です。
英語は義務じゃない。
使わなければ人生が成り立たないものでもない。英語以外に熱中できるものがある人もいます。
地域のコミュニティで役割を持っている人もいる。
孫の世話で毎日が充実している人もいる。
英語がなくても豊かな人生は、いくらでもあります。
もし本当に「もう役目は終わった」と心から感じるなら、無理に戻す必要はまったくありません。「やらなきゃ」という義務感で英語を再開しても、続かないし楽しくない。それなら別のことに時間を使ったほうが、よほど充実します。
ただし、ひとつだけ。
「迷いがあるまま」手放すのは、あとで少し重くなる可能性があります。
完全に納得して手放すのと、なんとなく遠ざかるのとでは、5年後の感じ方がまったく違う。納得して手放した人は、「あの選択でよかった」と思える。
でもなんとなく遠ざかった人は、ふとした瞬間に「やっぱりやっておけばよかった」が顔を出す。
50代の5年は、20代の5年よりずっと重い。
「まだ若いから大丈夫」は、もう通用しないと自分でも分かっているからです。その重さを知った上で選んでほしいんです。
「本当にもういいのか?」
この問いに、今の自分が迷いなく答えられるかどうか。それだけは確認してみてください。
もし少しでも迷いがあるなら
迷いがあるということは、まだ終わっていないということです。ここで大事なのは、迷っている自分を責めないこと。
「50代にもなって決められないなんて」と思う必要はありません。
迷えるのは、まだ可能性があるからです。もう本当に終わっていたら、迷いすら出てこない。
大きく動く必要はありません。転職活動を始める必要もない。英会話スクールに通い直す必要もない。
まずは、SNSのプロフィールに英語で一行だけ書き足してみる。海外のレシピサイトを覗いてみる。
そんな、誰にも見られない小さなもので十分なんです。
やってみて「やっぱり面倒だな」と感じたなら、手放していい。それは納得の上の選択だから、後悔にはなりません。
でももし、久しぶりに英語に触れて「あ、楽しいかも」と少しでも感じたなら、それが答えです。
「英語を使わない人生」から「使うかもしれない人生」に変わるのに、大きな決断はいらない。
小さな一歩で十分です。どちらを選ぶかは、いつでも自分で決められる。
でも、選択肢を残しておくことと、なんとなく手放すことはまったく違います。
まとめ|その英語を、本当に終わらせますか?
英語を使わない人生も、立派な選択です。この記事は「英語をやれ」と言いたいわけではありません。
ただ、使わないと決めるなら、ちゃんと「選んで」ほしい。なんとなく終わらせるのは、少しもったいないと思うんです。50代は遅くありません。まだ、どちらも選べる位置にいます。
使うと決めてもいい。
使わないと決めてもいい。
どちらも正解です。
迷っている自分を責めないでくださいね。迷えるということは、あなたのなかにまだ、あの頃の情熱が「種」として生きている証拠ですから。
その種を、このまま眠らせますか?