なぜ英語で発信する日本人はこんなに少ないのか
英語を勉強している日本人は、たくさんいます。
文部科学省の調査によれば、日本の英語学習者は数千万人規模。英会話スクール、オンライン英会話、アプリ、TOEIC——英語学習の市場は巨大です。
でも、英語で「発信」している日本人は、驚くほど少ない。
Mediumで日本について英語で書いている日本人。Substackで日本の暮らしを発信している日本人。YouTubeで日本文化を英語で語っている日本人。探してみるとわかりますが、本当に少ないんです。
数千万人が英語を学んでいるのに、発信している人はほんの一握り。この異常なギャップには、理由があります。そしてこのギャップの中に、あなたのチャンスがあります。
理由1:日本の英語教育が「受信型」だから
日本の英語教育は、徹底的に「受信」の訓練です。読む、聞く、理解する。入試もTOEICも、問われるのは「受け取る力」。
「発信」——つまり自分の考えを英語で書く、話す——の訓練は、ほとんど行われていません。大学受験で英作文はあっても、「自分の意見を自由に英語で書く」経験をした人は少ない。
その結果、英語力はあるのに「英語で何かを表現する」という発想自体がない。英語は「入れるもの」であって「出すもの」ではない。この思い込みが、無意識のうちに発信を阻んでいます。
理由2:「間違い」への恐怖が異常に強い
日本の英語教育のもう一つの特徴は、「間違い=悪」という刷り込みです。
テストでは1つの間違いが減点になる。発音が違えば訂正される。「正解」を出すことが求められる環境で育った結果、「間違った英語を人に見せるくらいなら、出さないほうがいい」という感覚が深く染み付いています。
海外では違います。英語が第二言語の人たちが、文法が不完全でも堂々と発信している。インド人も、フランス人も、ブラジル人も、自分の英語に完璧さを求めていない。「伝わればいい」の精神で、どんどん出す。
日本人だけが、完璧になるまで出さない。この完璧主義は美徳でもありますが、発信の世界では大きなハンデです。
理由3:「自分の意見を言う文化」がない
英語圏のメディアには、個人のコラムや意見記事があふれています。「私はこう思う」「私の経験ではこうだった」という一人称の発信が、当たり前のように受け入れられている。
日本では、「私の意見」を公に出すことに抵抗感がある人が多い。「目立ちたがり」「自意識過剰」と思われるのが怖い。出る杭は打たれる文化の中で、「私はこう思う」と声を上げることのハードルが高い。
英語で発信するということは、二重のハードルを越えなければなりません。「英語を使う」ハードルと、「自分の意見を出す」ハードル。どちらか一方でも高いのに、両方同時に越えなければならない。発信する人が少ないのは、当然です。
理由4:そもそも「発信先」を知らない
英語で何かを書いてみたい。でも、どこに出せばいいかわからない。
MediumもSubstackも、日本では知名度が低い。英語圏のブログサービスの存在自体を知らない人が多い。noteには日本語の記事を書いている人はたくさんいるけど、「noteに英語の記事を書く」という発想はあまりない。
つまり、意欲があっても出口がわからない。これも発信者が少ない大きな理由です。
だからこそ、今始めた人が勝てる
ここまで読んで、気づいたことはありませんか。
発信する人が少ない理由は、全部「構造的な問題」です。個人の能力の問題ではない。教育の仕組み、文化の特性、情報の不足。だから、この構造を理解して、一歩踏み出した人は、それだけで希少な存在になれるんです。
考えてみてください。数千万人が英語を学んでいるのに、英語で発信している人はほとんどいない。あなたが今日Mediumにアカウントを作って、日本の暮らしについて英語で1本書いたら、それだけで上位数パーセントに入ります。
競争相手がほぼいないフィールドに、あなたは立てる。これがどれほど有利な状況か、わかりますか。
英語力の問題ではありません。TOEICの点数は関係ない。発信するかしないか。それだけで、数千万人の英語学習者の中から抜け出せる。
まとめ|少ないから、チャンスがある
英語で発信している日本人が少ないのは、日本人の英語力が低いからではありません。「発信する」という発想と経験が、教育の中で育まれてこなかったからです。
裏を返せば、発信を始めた瞬間に、あなたはほとんどの英語学習者がいない場所に立てる。そこには競争相手がいない代わりに、あなたの声を待っている読者がいます。
海外の人たちは、日本人の声を聞きたがっています。日本の暮らし、仕事、文化、考え方。でも、それを英語で届ける人があまりにも少ない。
あなたがその一人になるのに、特別な資格は必要ありません。必要なのは、「出す」と決めることだけです。