英語コラムを書いたら、英語力より先に変わったこと

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英語コラムを書くと英語力が上がる。それは確かにそうです。

でも、書き始めた人が「一番驚いた変化」として挙げるのは、英語力の話ではありません。

「自分が何を考えているか、初めてわかった」

英語コラムを書くことで変わるのは、英語力よりも「自分自身の解像度」です。これは書いてみないとわからないし、書く前に説明されてもピンとこない。でも、書いた人はほぼ全員、同じことを言います。

自分の意見があることに気づく

英語でコラムを書こうとすると、最初にぶつかるのが「で、私はこれについてどう思ってるんだろう」という問いです。

日本語で生活していると、自分の意見をはっきり言う場面は多くありません。会議では空気を読む。友人との会話では相手に合わせる。SNSでは当たり障りのないことを書く。

「自分はどう思うか」を真剣に考える機会が、日常の中にほとんどない。

でも、英語でコラムを書くときは避けて通れません。コラムは「私はこう思う」を書くものだから。

「日本のお弁当文化について書こう」と思ったとき、事実を並べるだけなら簡単です。でもコラムにするには、「私はお弁当文化をどう見ているのか」を自分に問わなきゃいけない。面倒だと思ってるのか、愛おしいと思ってるのか、疑問を感じてるのか。

この問いに向き合った瞬間、「あ、私ってこう思ってたんだ」と気づく。ずっと持っていた意見なのに、言葉にするまで自分でも気づいていなかった。

これを繰り返していると、会議で「私はこう思います」が自然に出るようになります。今まではなんとなく周りに合わせていたのが、「あ、私はこれについて意見があるな」と気づける。

友人との会話でも変わる。「なんでもいいよ」「みんなに合わせるよ」が減って、「私はこっちがいいな」と言えるようになる。小さな変化だけど、これが積み重なると、自分の人生を自分で選んでいる感覚が戻ってきます。

思考が整理される

英語でコラムを書くには、日本語で考えるときよりも論理的に組み立てる必要があります。

日本語は、あいまいなままでも通じる言語です。「なんとなく」「いろいろあって」「まあ、そういう感じで」。こういう表現で、相手もこちらの言いたいことをなんとなく察してくれる。

英語ではそうはいかない。「何が」「なぜ」「どうして」を明確にしないと、文章として成り立たない。

この「英語に変換しようとする過程」で、自分の思考が強制的に整理されます。頭の中でモヤモヤしていたものが、英語で書こうとした瞬間に「あ、私が言いたかったのはこういうことか」と形になる。

で、面白いのが、これが英語の外にもはみ出してくること。

仕事のメールが短くなる。前は5行かけて説明していたことを、2行で書けるようになる。「結局何が言いたいの?」と聞かれることが減る。

人に何かを頼むとき、「えーっと、あのー、ちょっとお願いしたいことがあるんですけど」ではなく、「○○をお願いしたいんですが、理由は2つあって」と言えるようになる。

英語で書いているおかげで、日本語のコミュニケーションまで変わる。不思議な話ですが、本当です。

自分のことが客観的に見えてくる

英語で日本のことを書くということは、「日本人である自分」を外側から眺めるということでもあります。

「なぜ日本人はこうするのか」を海外の読者に説明しようとすると、「なぜ自分はこうしてきたのか」を考えることになる。

たとえば「日本人はなぜ空気を読むのか」をコラムにしようとすると、「私は空気を読んでいるのか? どんな場面で? それはなぜ? 本当にそうしたいからか、それとも怖いからか?」と、自分自身に問いが返ってくる。

書いているうちに、「あ、私はこういうときにこんなふうに感じるんだな」「この価値観は日本人だから持っているのか、私個人のものなのか」と、自分を外から見る目が育っていく。

誰かにイラッとしたとき、「あ、私はこういう状況で怒るんだな」と一歩引いて見られるようになる。以前なら感情のまま反応していたのが、「怒っている自分」を観察できる。

人間関係のストレスも減ります。「この人はなぜこう言うんだろう」と相手の視点を想像する癖がつく。これは英語コラムで「海外の読者はどう感じるだろう」と考える習慣がそのまま効いている。

「この価値観、もう手放してもいいかもな」「ここにこだわっていたのは、本当に自分が大事にしたいことではなかったかもな」。こういう気づきが、書くたびに少しずつ出てくる。自分との付き合い方が、楽になっていきます。

「私には何もない」が消えていく

40代50代の女性が抱えがちな感覚として、「私には特別なものがない」というのがあります。

仕事で突出した実績があるわけでもない。資格を持っているわけでもない。特別な才能があるわけでもない。

英語コラムを書き始めると、この感覚が少しずつ消えていきます。

自分が当たり前だと思っていた経験をコラムにしてみたら、海外の読者が「知らなかった」「面白い」と反応してくれた。自分が普通だと思っていた日常に、他の人には見えない価値があると気づいた。

「私には何もない」のではなく、「あるのに見えていなかった」だけ。書くことが、そのふたを開けてくれます。

自己紹介が苦痛じゃなくなります。「あなたは何をしている人?」と聞かれたとき、前は「特に何も…主婦です…」と答えていたのが、「日本の暮らしについて英語で書いています」と言える。この一言が言えるだけで、自分の輪郭がはっきりする。

初対面の場で黙っていることが減る。自分の経験に価値があると知っているから、「こんな話、つまらないかな」というブレーキが外れている。

何より、鏡を見たときの感覚が変わります。「特別なことが何もない私」ではなく、「書いているものがある私」。この違いは、思っているより大きい。

まとめ

英語コラムを書いて変わるのは、英語力だけではありません。

自分の意見に気づいて、会議で発言できるようになる。思考が整理されて、メールや説明が短くなる。自分を客観的に見られるようになって、人間関係が楽になる。「私には何もない」が消えて、自己紹介が苦痛じゃなくなる。

英語力が上がるのは、おまけです。本当に変わるのは、自分の輪郭。ぼんやりしていた「私」が、1本書くごとに、少しずつはっきりしてくる。

これは誰かに教えてもらって「なるほど」と思う類の話ではなく、書いた人だけが「ああ、これか」とわかる感覚です。

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