「英語ができますって、胸を張って言えない」
こういう声をよく聞きます。
英語歴は20年以上。英会話スクールにも通った。TOEICの教材も買った。アプリもやってみた。それだけやってきたのに、「英語、得意なんですか?」と聞かれると、なぜか「いや、まだまだです」と答えてしまう。
なぜ、20年やってきた英語に、自信が持てないのか。
この記事では、その正体を整理します。
「英語ができる」って、どういう状態のことだと思っていますか?
「英語ができます」と胸を張れない人に共通していることがあります。
「英語ができる」のイメージが、ネイティブスピーカーに近い状態になっているということです。
流暢に話せる。どんな表現も自然に出てくる。発音が美しい。ニュアンスまで完璧に伝わる。
このイメージと自分を比べると、20年やってきても「まだまだ」という結論になります。これは比べる対象が間違っているのです。ゴールを「ネイティブ」に設定してしまうと、英語学習は永遠に「まだ途中」になります。
長年英語を教えてきた現場で見ていると、「英語ができます」と言えない人のほとんどは、英語力が足りないのではなく、基準が高すぎるだけです。
20年やってきた英語が「形にならない」理由
英語歴が長いのに自信が持てない理由は、もう一つあります。
使う場所がなかったことです。
英会話スクールで練習した。でも日常生活では使わない。TOEICで点数が上がった。でもビジネスの場で英語を使う機会がない。アプリで毎日単語を覚えた。でも英語で何かを作ったり、届けたりしたことがない。
「学んだ」けれど「使っていない」。この状態が長く続くと、英語は自分の中に積み上がらない。積み上がらないから「形にならない」。形にならないから「できます」と言えない。
これは英語力の問題ではありません。英語の使い道が見つかっていなかっただけです。
「やり残した感」の正体
「英語、やり残した感がある」という声もよく聞きます。
この「やり残した感」の正体は何でしょうか。
英語が好きだった。英語で何かしたかった。でも、何をしたかったのかが、ずっとぼんやりしていた。ぼんやりしたまま20年が過ぎた。
英語そのものへの後悔ではなく、「英語を使って何かを届けたかった自分」への後悔です。
英語を学んできた時間は、無駄ではありません。ただ、「届ける」という経験がなかっただけです。
「英語が好きな人」と「英語で発信できる人」の違い
英語が好きで、長年学んできた人はたくさんいます。でも「英語で発信できる人」は、その中のほんの一部です。
この2つの間にある違いは、英語力ではありません。
「何を届けるか」が見えているかどうかです。
英語で発信している人は、英語が完璧だから発信しているわけではありません。届けたいものがあるから、英語を使っているのです。
日本のことが好きで、それを外の世界に伝えたい。自分が20年の暮らしの中で見てきた日本の景色を、誰かに知ってほしい。この「届けたいもの」が先にあって、英語はその手段になっている。
「英語ができます」と胸を張れる人は、英語力が高い人ではなく、「英語で届けたいものを持っている人」かもしれません。
「胸を張れない」から抜け出すために
「英語ができますって、胸を張って言えない」という感覚は、英語力の問題ではありません。
基準が高すぎること。使う場所がなかったこと。届けたいものがまだ見つかっていないこと。この3つが重なって生まれた感覚です。
抜け出すために必要なのは、もっと英語を勉強することではありません。
「自分は英語で何を届けたいのか」を見つけることです。
届けたいものが見つかった瞬間に、英語の意味が変わります。20年学んできた英語が、急に「使えるもの」に変わる瞬間が来ます。
「英語をやり残してきた」のではなく、「届けるものを探していた」だけかもしれない。そう考えると、20年は無駄ではなかったと思えてきます。