その感覚は、あなただけのものではありません
「英語は好き。でも、使う場所がない」
この一文の中に、どれだけの時間が閉じ込められているでしょうか。
留学した人も、資格を取った人も、同じところで止まります。だから、英語力の問題ではないのです。出す場所がないまま持っているだけだと、英語はゆっくり錆びていきます。
逆もまた本当です。資格がなくても、書き続けている人の英語は育っていきます。「中学英語しかありません」と言っていた人が、半年後に海外の読者からコメントをもらう。そういうことが実際に起きています。
分かれ目は、才能でも学歴でもありません。使い続けているかどうか、それだけです。
「英語、昔ちょっとやってたんだけどね」
この一言で、会話を終わらせたことはありませんか。
過去形で話す。少し笑って、話題を変える。相手も「そうなんですね」で終わる。それ以上は聞かれない。
でも本当は、終わっていないはずです。終わっていたら、そもそも口に出さない。
書店で英語の棚の前を通ると、なんとなく足が止まる。海外ドラマを字幕なしで観ようとして、10分で諦める。年明けに「今年こそ」と思う。SNSで英語を使って仕事をしている人を見ると、少し胸がざわつく。
それは、やり残しがまだそこにあるからです。
やり残しは、時間では消えません
面白いもので、「やらなかったこと」は、時間が経つほど小さくなるどころか、少しずつ重くなります。
10年前に「英語をやり直そう」と思った人が、10年後に「もういいや」と思えているかというと、そうでもない。むしろ「あのとき始めていれば」という後悔が一枚重なっているぶん、前より気になっている。
なぜ消えないのか。
それは、英語が「能力の問題」ではなく「自分の可能性の問題」として残っているからです。
英語ができないことが悔しいのではありません。英語を通してできたかもしれない何か、見られたかもしれない景色、会えたかもしれない人、就けたかもしれない仕事が、手つかずのまま置いてある。それが引っかかっている。自分の好きなものを中心に置いてこなかった心残り。
だから、TOEICの点数が上がっても、この感覚は消えません。点数は能力の証明であって、可能性の実現ではないからです。
同じ場所で止まっている人は、年代、性別、経歴関係なく、驚くほど同じことを言います。
「英語は好きなんです。でも、使う場所がなくて」
留学経験のある人も、資格を持っている人も、まったく同じことを言います。英語力の問題ではないのです。出す場所がないまま持っているだけだと、英語はゆっくり錆びていきます。
逆のこともあります。資格を持っていなくても、書き続けている人の英語は育っていく。半年前に「中学英語しかありません」と言っていた方が、いま海外の読者からコメントをもらっています。
分かれ目は、才能でも学歴でもありませんでした。使い続けているかどうか、それだけです。
「試験のための英語」では、やり残しは終わりません
やり直そうと思ったとき、多くの人がまず参考書を買います。TOEICの問題集、文法書、単語帳。
そして、たいてい続きません。
意志が弱いからではないと思っています。「なぜこれを覚えるのか」に、心から納得できていないからです。
点数が上がって、それで何が変わるのか。その問いに答えられないまま単語を覚え続けるのは、ゴールの見えないマラソンを走るようなものです。続かなくて当然だと思います。
そして、仮に点数が上がったとしても、あのざわつきは消えません。可能性は、まだ手つかずのままだからです。
終わらせ方は、たぶん一つだけです
やり残しを終わらせる方法は、一つしかありません。
英語を使って、誰かに何かを届けること。
覚えることでも、解くことでもなく、届けること。自分の中にあるものを英語にして、外に出す。そして、それが誰かに届く。
この経験を一度でもすると、英語との関係が変わります。
海外の読者から “I never knew this about Japan.”(日本にこんなことがあるなんて知らなかった)というコメントが届いたとき、点数が上がったときとはまったく違う感覚が生まれます。
「届いた」という実感です。
そのとき初めて、英語は「まだ終わっていない宿題」から「もう使えているもの」に変わります。
書くことなら、いまの自分で始められます
「届ける」と聞くと、話せないと無理だと思うかもしれません。でも、話す必要はありません。
話すことには、独特のもどかしさがあります。頭の中には伝えたいことがたくさんあるのに、口から出る英語は驚くほどシンプルになってしまう。言いたかったことの半分も言えない。
書くことは、そのもどかしさから解放してくれます。考える時間がある。辞書を引ける。言葉を入れ替えて、しっくりくるまで直せる。
話すと60点の自分しか出せなくても、書くことなら90点の自分を出せる。
そして、書くときにいちばん効いてくるのは英語力ではなく、何を書けるかです。
ここで、40代・50代が圧倒的に強くなります。組織で揉まれた経験、子育てのリアル、日本社会の裏も表も知っていること。20代には、この厚みがどうやっても出せません。
海外の読者が読みたいのは、完璧な英語で書かれた一般論ではありません。「日本で暮らしている人が、今日見て、感じて、考えたこと」です。それを書けるのは、日本で暮らしてきたあなただけです。
Write Up Lab は、そのための場所です
学び直した英語を、活かす先がない。
この状態が、いちばんもったいないと思っています。せっかく取り戻した英語が、また使われないまま錆びていく。
だから、学ぶところではなく、活かすところを作りました。
ここで目指すのは、グローバルエッセイスト日本で暮らしている自分の視点を英語で書いて、世界の読者に届ける人です。翻訳者でも、英語講師でも、通訳でもありません。
やることは具体的です。
- 中学英語から組み立て直す。TOEICの点数は問いません。主語と動詞が並べられれば始められます
- 伝わる型を覚える。英語は結論から書く言語です。PREP法と起承転結という2つの型を身につけると、英語力が同じままでも、読まれる文章に変わります
- 約530語を書けるようにする。日本語の原稿用紙で3枚弱。「英語で1本書く」は、この距離です
- AIを翻訳機ではなく、書く相棒として使う。AIに書かせるのではなく、AIと書く。この使い分けができる人が、これからの書き手です
- 最後に、世界に公開する。書いて終わりではありません。届けるところまでやります
6か月です。長いでしょうか。でも、6か月前を振り返ってみてください。あっという間だったはずです。
すでに、始めた人がいます
ここで学んだ人たちが書いた英語エッセイ、英語コラムは、実際に世界に向けて公開されています。日本の食のこと、暮らしのこと、街のこと。ガイドブックには載っていない、生活者の視点で書かれた文章です。
書いているのは、もともと「英語、昔ちょっとやってたんだけどね」と言っていた人たちです。留学経験も、英検1級も、TOEIC900点もありません。
あるのは、日本で暮らしてきた時間と、伝えたいことだけです。
やり残したままにしない、ということ
英語をやり直すこと自体が目的ではないと思っています。
本当の目的は、「あのとき始めていれば」を、これ以上増やさないことです。
10年後に、また同じことを考えていたくない。「英語、昔ちょっとやってたんだけどね」と、また過去形で話したくない。
そのために必要なのは、才能でも、時間でも、資格でもありません。1本書いてみることだけです。
今朝見たコンビニの棚のことでも、昨日作ったお弁当のことでも、子どものPTAの話でもいい。あなたにとっての「退屈な日常」が、地球の裏側の誰かにとっての「読みたかった記事」になります。
英語は、まだ終わっていません。終わらせるかどうかは、これから決められます。