WRITER’S STORY vol.4|「誰も私を、私として見なかった」——専業主婦だった私が、英語で自分の言葉を見つけるまで

2026.09.22
Voice

てんくもさん(専業主婦・元英語講師・小学生のママ)|認定エッセイストインタビュー

グローバルエッセイスト養成講座を修了し、実際に英語エッセイを書き続けているライターたちのストーリーをお届けします。

結婚を機に仕事を辞め、自分の出身地ではない土地へ引っ越したてんくもさん。
英語は何年も学んできて、子どもが入園してからは英会話講師の仕事も始めていました。

それでも、どこか満たされない。
「英語はできる。でも、何かが足りない」そんな感覚を抱えていたと言います。

てんくもさんが、何をきっかけに一歩を踏み出し、その先で何を見つけたのか。
その話には、英語を学び続けてきた人にとって、一つのヒントがあるように思います。

「誰も私を、私として見なかった」

引っ越してからの数年間を、てんくもさんはこう振り返ります。
「誰も私のことを、私として見ない。常に主人の、その子どものお母さん。誰も私個人として見なかった」

家族が大事ではないわけではありません。
子どもも、もちろんかけがえのない存在です。

それでも、自分の人生として考えたときに「ずっとこれでいいのかな」という気持ちが消えなかったと言います。
何かを成し遂げたい、もっと成長したいという思いがありました。

ここで印象的なのは、これは単なる「孤独」の話ではないということです。
てんくもさんのまわりには家族がいて、生活も成り立っていました。

それでも足りなかった。
足りなかったのは、人とのつながりではなく、自分自身の輪郭だったのだと思います。

「誰かの妻」「誰かの母」という呼び名は、もちろん間違いではありません。
でも、それだけでは自分自身がどんな人なのか、分からなくなってしまうことがあります。

英語はできた。それでも「何もない」と気づいた

次女が入園してから、てんくもさんは英会話講師の仕事を始めました。
すでに「英語を使う仕事」には就いていたのです。

それでも、心のどこかに引っかかりが残っていました。
「英語、何年もやってきたのに、『英語で何かしてますか?』って聞かれたら答えられない」

講師として生徒の話を聞く中で、海外の人と仕事をしている人の話にも触れました。
そこで、あることに気づきます。

もちろん、英語が流暢に話せることは一つの力です。
でも、ある程度コミュニケーションが取れるようになると、「英語ができるか」だけでは足りなくなってくる。

英語を使って、何ができるのか。
自分には、英語と掛け合わせられる何があるのか。

「私がアメリカに行きました。じゃあ何か仕事がしたいですってなったときに、『私、何もないな』って思ったんです」
これは、英語をある程度学んできた人ほど、ぶつかりやすい壁なのかもしれません。

英語力が足りないうちは、「もっと勉強すればいい」と思えます。
でも、ある程度できるようになると、その先にある「英語と掛け合わせるもの」の存在が見えてきます。

「英語でこれができます」と言えるものを作りたい。
それが、てんくもさんが講座を受講した理由でした。

いちばん迷ったのは、お金だった

もちろん、申し込むまでに迷いがなかったわけではありません。
一番大きかったのは、金銭面でした。

「正直に言ってしまうと、専業主婦で、ちょっとしか稼いでなかったので。金銭ですね、一番迷ったのは」
それでも受講を決めたのは、「自分にとって意味のある投資だ」と思えたからでした。

そして、「何としても、これを形にするぞ」と決めたそうです。
不安がなくなったから動いたわけではありません。

不安があるまま、決めた。
すべての迷いが消えるのを待っていたら、きっと申し込む日は来なかったかもしれません。

「すごい」で済ませていたことを、掘り始めた

オンライン講座を受けるのは、てんくもさんにとって初めての経験でした。
通学型の講座と何が違ったのか、こう振り返っています。

「圧倒的に、受け身じゃなくて自分が動いていかなきゃいけない。講義動画を聞くだけじゃなくて、そこから自分はどう考えているのか。自分が主体的になっていかなきゃいけない」
何度も添削を受けるうちに、自分の文章の癖も見えてきました。

文章が固くなりやすいこと。
そして、もっと根本的なことにも気づきます。

「この講座を受ける前は、あんまり自分の感情を考えてこなかったなって気がついた。『すごい』とかだけで済ませてきてた」
日常では、「すごい」「やばい」という一言で感情を済ませてしまうことがあります。

でも、それを英語で文章にしようとすると、そうはいきません。
何がすごかったのか、なぜそう思ったのか、自分はどう感じたのか。

そこまで掘らなければ、文章にはならないからです。
2作目に書いた、日本のトイレについてのコラムでも同じことが起きました。

最初は、「日本のトイレって便利だな」くらいに思っていた。
でも、文章にするために掘り下げていくと、今までとは違うものが見えてきたと言います。

「もっとちゃんと思いやりが表れていたんだな」「先回りしてくれていたんだな」
当たり前だと思っていたものの中に、別の意味を見つけるようになったのです。

英語を書くことが、そのまま自分の感情や考えを言語化する訓練になっていく。
英語エッセイを書く価値は、実はここにもあるのかもしれません。

書けるようになるのは、英語だけではないのです。

父が「そんなことに疑問を持つんだね」と言った

卒業エッセイで、てんくもさんが選んだテーマは「母」でした。
お母さんはいつも、「ありがとう」と「ごめんね」をセットで言っていたそうです。

感謝を伝える場面なのに、なぜ謝るのだろう。
日本人にとっては見慣れた光景ですが、言われてみると確かに不思議です。

書き上げたエッセイを最初に見せたのは、お父さんでした。
返ってきたのは、「そんなことに疑問を持つんだね。当たり前すぎて考えたことなかったけど、言われてみれば確かにそうだよね」という言葉でした。

てんくもさんは、この言葉が嬉しかったと言います。
「自分の気づきが、相手にとっても新しい気づきになった」

海外の読者に届くより先に、いちばん近くにいる家族が反応した。
自分にとっての「当たり前」を掘り下げることで、それが同じ文化の中にいる人にとっても新しい発見になる。

書くという行為には、そんな力もあるのだと思います。

「ただの趣味じゃない」と思えた

グローバルエッセイストという肩書きについて聞いたとき、てんくもさんは「ただ趣味でやってるだけじゃないっていう感じがして、嬉しいです」と答えました。
受講前の自分に一言かけるとしたら、と聞くと、返ってきた言葉は「やればできる」でした。

そして、動けなかった数年間についても振り返っています。
子育てに忙しいことを理由に、一歩踏み出せなかった時期がありました。

けれど、本当にやりたいことなら、忙しくても人は時間をつくる。
振り返れば、自分の中にも「言い訳」があったのだと思う、と。

社会復帰を考えるタイミングは、これまでにも何度かありました。
それでもなかなか動かなかったのは、「外に働きに行く」以外の選択肢を、そもそも探していなかったからだと言います。

英語で、自分の輪郭を取り戻す

てんくもさんにとって英語は、単に「話せるようになるためのもの」ではありませんでした。
英語を書くことで、「私はどう思う?」「なぜ、そう思う?」と、自分自身に問いかけるようになりました。

「すごい」で済ませていた感情を掘り、自分の言葉にしていく。
その積み重ねが、「誰かの妻」「誰かの母」だけではない、一人の自分としての輪郭を取り戻すことにつながっていったのだと思います。

英語を何年も勉強してきた。
でも、「英語で何ができますか?」と聞かれると答えられない。

そんな人にとって必要なのは、さらに英語を勉強することだけではないのかもしれません。
今まで学んできた英語を使って、自分は何を伝えたいのか、何を書きたいのか、何を形にしたいのか。

そこを見つけていくこと。
てんくもさんのストーリーは、その一つの形を見せてくれています。


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